大阪早稲田倶楽部

学活の杜 ~新潟研修旅行(2025.6.6~6.7)~

2025年6月6日~6月7日にかけて、学活の杜・新潟研修旅行に行ってまいりました。初日は会津八一記念館→(昼食)へぎ蕎麦→白壁兵舎広報資料館→蔵春閣→市島邸→宴会、二日目はゴルフ組と観光組にわかれて、丸二日間、勉強と楽しい時間を過ごしました。
今回の研修については、明治維新前後の新潟の歴史的背景を知っていると理解も深まります。実は1874年から1876年にかけて、新潟県は全国で人口第1位(約140万人)を誇っていました。その背景には、稲作に適した気候条件と、当時の主要な流通手段であった北前船の重要な寄港地であったという地理的な優位性があります。このような環境のもと、人・モノ・金が新潟に集積し、そこで培われた資金力は、やがて東京の発展にも大きく貢献していきました。

【初日】
■会津八一記念館
6月6日、朝6時過ぎに伊丹空港へ集合し、空路にて新潟へ向かいました。アルプスの残雪の山々を飛び越えた先には青々とした稲作が広がる新潟平野へ。およそ1時間弱のフライトを経て観光バスに乗り込み、最初の目的地である会津八一記念館を訪問。馴染みのない方もいるかもしれませんが、会津八一は1906年(明治39年)に早稲田大学文学科卒業後、早稲田中学校や早稲田大学文学部の教授となり東洋美術史を講じた人物です。なお、早稲田大学にも会津八一記念博物館(2号館:旧図書館)があります。
今回訪問した会津八一記念館は新潟日報社の本社が入る「新潟日報メディアシップビル」にあり、新潟出身の文化人・会津八一の貴重な資料や作品が展示されています。静かで洗練された展示空間の中で、八一の詩や書の世界に触れ、旅のスタートから文化的な時間を過ごしました。八一の書は一見クセのある風合いですが、もともと左利にも関わらず右手で書いたことや、中国古代文字の研究を続けていたことが背景にあるそうです。また、魯山人など目上の方から借りた書物に落書きに似たようなメモを書いて返すなど(それが現在では価値あるものとして捉えられてはいますが)、やや斜めから見た個性的な人物であったようです。
なお、八一の歌碑は大阪にもあり、四天王寺・千里南公園・観心寺、奈良の東大寺・唐招提寺・薬師寺・興福寺など身近な場所でもその足跡を感じることができます。

●昼食:小嶋屋総本店(旬彩和膳一翔 女池インター店)
 会津八一記念館での見学を終えた後、地元で有名なへぎそばの名店に移動。早朝からの移動と会津八一記念での勉強疲れを癒すため早速、ビールや日本酒で乾杯!名物のへぎ蕎麦はつるつるとしたのど越しが心地よく、布海苔(ふのり)を使った独特のコシが非常に美味でした。

●白壁兵舎広報資料館
 昼食後は、新発田市にある白壁兵舎広報資料館を訪問。この施設は1874年(明治7年)に陸軍兵舎として建設され、現存する日本最古の兵舎を移築・改修した歴史的建造物です。
 真っ白な漆喰壁とエンジ色の瓦屋根が印象的な外観に加え、館内には日清戦争から太平洋戦争に至るまでの歩兵第16聯隊・第116聯隊などに関する資料が多数展示されていました。特に当時の日本軍の軍服や実物の銃などが展示されており、参加者一同、真剣に見入っていました。

●蔵春閣
 続いて新発田市の中心街に向かい訪れたのが和風の趣が美しい「蔵春閣(ぞうしゅんかく)」。この建物は、実業家・大倉喜八郎が1912年(明治45年)に東京・向島の別邸の一部として建設したもので、2023年に新発田市へ移築されました。蔵春閣は渋沢栄一をはじめとする政財界の重鎮や、海外からの賓客をもてなす迎賓館としての役割を果たした格式ある建物です。なお大倉喜八郎は東京電燈(東京電力)、帝国ホテル、大成建設、サッポロビールなどの設立に関わった、まさに近代日本を支えた実業家の一人です。
 1階の書斎には、龍の墨絵や鯱(しゃちほこ)があしらわれた格天井が印象的で、食堂は洋風の椅子を取り入れつつも和風の意匠が随所に施された、和洋折衷の空間となっていました。2階の大広間には、筑波山から昇る月を眺めるための月見台が設けられ、そこでは多くの催しが行われていたとのこと。豪華さの中に和の風情を取り入れたその空間には、当時の新潟出身の実業家たちが持つ圧倒的な資本力と美意識が感じられました。

●市島邸
 蔵春閣に続き、新潟屈指の大地主・豪農 市島家の邸宅「市島邸」を見学。江戸時代初期から続く旧家で、明治初期に建てられた600坪の豪邸と8000坪を超える広大な回遊式庭園を有しています。市島春城(本名:謙吉)は早稲田大学創設時から資金面で大隈重信を支えるだけでなく、初代体育部長・会計監督・図書館長などを務めた人物です。ちなみに会津八一とも遠縁にあたるようです。
 この日、偶然にも早稲田大学講師・藤原秀之研究員と現地で遭遇し、思いがけず特別授業が開講されることに。市島春城(謙吉)が「早稲田四尊(市島謙吉・高田早苗・坪内逍遙・天野為之)」のひとりに数えられることや、彼がいかに大学創設に貢献したかを詳しく学ぶことができました。
 特別授業を終え、様々な展示物や広大な庭園を見学しますが、特に盛り上がったのは、明治時代の多額納税者名簿(笑)。上位の半数以上を新潟県出身者が占めており、当時の経済の繁栄をうかがい知ることができました。

●夕食 
 蔵春閣から新潟市内への帰路につく途中、道の駅発祥の地とされる「道の駅豊栄」に寄り道しホテルへ到着。その後、「一〆」という宴会場に移動。懐石料理と飲み放題を楽しみつつ、若女将と大女将と仲良くなり大いに盛り上がりました。鰻料理のお店ということで次回はうなぎをメインに食したいところ。その後、横山理事長のアテンドで新潟の夜を大いに楽しみました。

【2日目】
 翌日はゴルフ組と観光組にわかれて2日目を堪能。
<ゴルフ組>
 早朝に起きて6時前のバスで紫雲ゴルフ俱楽部へ出発。加治川コースはフラットな林間に自然の造形美を生かしたバンカーやグリーンなど、非常にきれいなコースでした。海辺からの心地よい風を感じながら、昨夜の疲れをものともせず、ゴルフを楽しみました。コンペ形式でプレーが行われ、見事、前田さんが優勝を飾りました。

<観光組>
 まずは新潟県の名社「弥彦神社」を訪れました。越後一宮として古くから信仰を集める神社で、境内は杉木立に囲まれた厳かな雰囲気が漂います。当日は天候にも恵まれ、神社背後にそびえる弥彦山のロープウェイにも乗車。山頂からは日本海や佐渡島まで見渡せるほどの見晴らしで、まさに絶景でした。
 次に寺泊魚市場通りでの昼食後に、信濃川沿いに位置する「新潟市歴史博物館(みなとぴあ)」を訪れました。かつての旧第四銀行住吉町支店を活用した重厚な建築の中で、新潟の歴史や港町としての発展について学ぶことができます。館内では北前船の航路や明治時代の町並み、新潟地震の資料など多彩な展示が印象的でした。

 ゴルフを終えたメンバーを迎えに紫雲ゴルフ倶楽部へ向かい、新潟空港へ。空港では、それぞれが新潟ならではのお土産を手に取り、名残惜しさを感じながら帰路につきました。なお、一部のメンバーはそのまま佐渡島へ渡り、観光を満喫。島ならではの自然や名所を楽しんだとのことです。
 今回の学活の杜 研修旅行では、会津八一や市島春城といった早稲田大学創設期に関わる人物の歴史に触れるとともに、新潟の豊かな文化・歴史・食・自然を体験する、非常に内容の濃い2日間となりました。次回の企画も皆さんごぜひ参加ください。

平成15年卒 北垣博章

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