てくてくハイキング

法隆寺等の史跡巡りウオークが行われました。

 令和8年10月24日に藤ノ木古墳・法隆寺・中宮寺・法輪寺史跡巡りウオークが開催されました。 ピーク時には大阪早稲田倶楽部から14名、神戸早稲田倶楽部から4名、宝塚稲門会から4名の参加がありました。JR法隆寺駅前から法隆寺前バス停までは20分に1本の割合でシャトルバスが運行されていたこと、使える便利な公共交通機関は使うという史跡巡りウオークの方針の下で、往復はバスを利用しました。史跡巡りコースは誰でも途中離脱可能なように設定していますので、最後までウオークのコースに参加された方もいれば、途中でコースから離脱してバスで帰宅された方もいて、参加者それぞれが自分の都合やペースにあったウオークを楽しんでいました。
 
 藤ノ木古墳は法隆寺の西約350mに位置する6世紀後半の円墳です。完全未盗掘の状態で発掘され、両袖式の横穴式石室内に納められた朱塗りの家形石棺が確認されました。また、金銅製透彫鞍金具に代表される装飾性豊かな馬具の出土によって一躍有名になり、二人の人物が玉纏の太刀や金銅製の冠・履など豪華な副葬品とともに埋葬されていることが明らかになっています。古墳の築造時期から、被葬者は聖徳太子の身近な人であると考えられています。多くの出土品が国宝に指定されており、近くの斑鳩文化財センターでは、藤ノ木古墳出土品の精巧なレプリカが展示されていました。本物は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で展示されています。

 次に訪れた世界最古の木造建築で有名な法隆寺は、現存する建造物の多くが国宝・重要文化財に指定されているだけでなく、聖徳太子ゆかりのお寺としても有名です。1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」名義で、「姫路城」とともに日本初の世界文化遺産に登録されました。法隆寺内では自由拝観にしましたので、一度拝観して金堂外に出たにも拘わらず、再び金堂の入り口に向かい、気になった仏像を二度三度拝観した参加者もいました。
 
 金堂内には鞍作止利作と言われる釈迦三尊像(飛鳥時代 国宝) 、聖徳太子の父である用明天皇が病気平癒を願って建立を発願した法隆寺に関連していると伝わる薬師如来像(飛鳥時代 国宝)、 日本最古の四天王像(飛鳥時代 国宝)などが安置され、私達がよく目にする奈良時代や平安時代の仏像とは異なる様式の仏像であることは直ぐに分かります。特に四天王像は、六朝様式と言われ、手枷足枷で身動きがとれない邪鬼の上に静止して佇み、奈良時代や平安時代の四天王像が唐様の甲冑をまとい、暴れている邪鬼を踏みなつけながら歌舞伎の見得(みえ)を切るような動きのあるポーズをとっているのとは全く対照的でした。六朝時代とは、孫権が呉を建国して建業に都を置いたのが229年、最後の王朝陳が隋(ずい)に滅ぼされたのが589年であり、一般にはこの間の時代を指すと言われ、その時代の文化は六朝文化と呼ばれています。この時代の影響が強い四天王像を間近で拝観できるのは法隆寺ならではのことだと思います。

 大宝蔵院では、玉虫厨子(飛鳥時代 国宝)、百済観音像(飛鳥時代 国宝)、伝橘夫人念持仏及び厨子(白鳳時代 国宝)などの宝物が展示されていました。

 また夢殿では、秘仏であり聖徳太子の等身とも伝わる救世観音像(飛鳥時代 国宝)が毎年春と秋の限定期間にしか開帳されないところ、この秋の開帳時期に当たったために拝観することができ、とても幸運でした。

 夢殿の隣にある中宮寺は聖徳太子が母の穴穂部間人の為に建立したと伝わる尼寺です。中宮寺の半跏思惟像は、飛鳥時代の最高傑作のひとつであると同時に、わが国美術史上、欠かすことの出来ない存在だと言われています。国際的評価が確立しているかどうかは別として、ある美術史家はこの像の顔の優しさを評して、数少ない「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼んでいるほどです。他にもこの紙面には語り尽くせぬほど国宝や重要文化財の伽藍や仏像を観ることができました。これらの画像や解説は、藤ノ木古墳、法隆寺や中宮寺などのホームページに掲載されていますので興味のある方はご覧下さい。

 今回は平地ばかりを歩きました。帰りにJR法隆寺駅に着いて万歩計を見ると10㎞近く歩いたとの表示でしたが、参加された皆さんにとっては、あっという間に時間が過ぎた史跡巡りウオークだったと思います。

 

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